日本基督教団安岡教会

主(しゅ)という言葉は、こんにちクリスチャンの間ではよく使われますが、その他の世界では殆ど死語ではないでしょうか?
主(the Lord、Master )という言葉の反対語は、奴隷です。 ご主人様というのは、奴隷がその持ち主である人に対して言う呼び名です。
主人は、奴隷の全てを、命までも買って自分のものとしています。生殺与奪の権を持っているのが主人です。
わたしたちがキリストを主と呼ぶとき、わたしたちはキリストの奴隷ということを自認していることになります。
キリストの奴隷は嫌だというと、どういうことになるのか?
罪の奴隷となるということです。偶像を拝み、偶像の奴隷となるということです。お金の奴隷や、名誉、地位、色、いろいろなものを自分の主人としてしまうことになります。
自分の主人は、自分だ。と思っていても、結局のところ、何かの偶像に仕えていた。その奴隷として一生を送っていたということになります。
キリストが、わたしたちを代価を払って自分のものとして買い戻してくださったのは、そういう罪(罪という主人)の奴隷から開放してくださったのです。
だから、わたしたちは喜んでイエスの奴隷としてくださいと願うのです。
よく、わたしたちを羊、イエスをよい羊飼いにたとえられます。
「よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」とイエス様は言われたのです。
このような羊飼いの群れにこそ、加えられたいと願っています。
このような主人に仕え、このような主人に用いられてこそ、意義ある人生を送れると思います。