日本基督教団安岡教会
献金について:
「礼拝は只ですか?」と口に出して訊く人は滅多に居ませんが、始めて教会に行く人は、心の中ではみな心配してあると思います。
入場無料ですが、ただ、礼拝の中で献金を集めます。
これは入場料を集めているのではありません。一人一人の感謝の奉げものを集めているのです。
神様への感謝の奉げものですが、神様は少しもお金を必要として居られません。(^_^)
それで、献金は、神様から与えられたものとして教会のために使わせて頂きます。
牧師謝儀、維持管理費、運営費、他者への援助などに使われます。
自由な捧げものですから、用意がなければ出さなくてもよいのです。
それは、神様と自分との問題です。
献金は幾らしたらいいの?
これもまた、皆悩むところです。
献金には月定献金と席上献金が主なものです。
月定献金は、信者が献金額を予め定めておいて、月々一定額を献金するものです。席上献金は、礼拝に出席したとき、その場で奉げます。
聖書の中で、イエス様は、たくさん献金したお金持ちの人よりも、わずかだが、財布の中身を全て献金した貧乏な寡婦を誉めておられます。
旧約聖書の中に、十分の一を奉げるように律法に記されています。
紀元前のイスラエルの民の税金だと思えば、妥当なところだったかもしれません。
しかし、イエス様の時代には、ローマ皇帝への税金がありました。
ローマ皇帝に税金を払いながら、献金するとなると、かなり苦しかったでしょうね。
今のわたしたちは、国や自治体への税金があります。そのほかに、収入の10%を献金というのは、大きな負担になります。
しかし、神様に生かされ、今の自分があると思えば、10%を神様に奉げるのは、喜びでもあるのです。
税金のようにしぶしぶ出すのでなく、喜びをもって奉げるのが献金です。
神様に、不満ばかり持っている人は、喜んで献金できないでしょう。
しかし、とにもかくにも、今日まで生かしてくださったことを感謝して奉げるなら、きっと人生が変わってきます。
自分の財布に少しも応えない額だと、心にも応えません。
それでは、人生も変わらないでしょう。
ですから、献金は神様と自分との問題です。
献金に関して多くの人が不思議を経験し、信仰を深める経験を語っています。
私自身にもあります。
アブラハムの試練
旧約聖書創世記に神様がアブラハムを試される物語があります。アブラハムがイサクを生贄に奉げようとして、神がイサクの代わりに奉げる雄羊を与えられたというところにあります。
わたしたちが、一番大事だと思っていたものを諦め、何よりも神様が大事だと言うことに思い至った瞬間に、すでに奇跡は起こりつつあると思います。
献金は神様による、わたしたちへの試しでもあります。